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浮世絵のたのしみ~江戸時代の人々の癒しとハッピーを探して:第1回「難波屋おきた」

公開日 2021.07.02 

「ニコニコしてみんな幸せそうに見えた」

江戸時代に日本を訪れた外国人が、当時の日本人を見て言ったとか。 疫病や大火事や洪水といった自然災害が多かったにもかかわらず、粋でおしゃれで元気な江戸時代の人々。浮世絵には江戸時代の素敵な生き方や暮らしがたくさん描かれています。 オンライン浮世絵木版画専門店のスタッフが、鮮やかに描かれた復刻版浮世絵から、楽しく幸せに生きるヒントを探っていきます。

葛飾北斎 富嶽三十六景「東海道品川御殿山の不二」
出典:復刻版浮世絵木版画 岩下書店

江戸時代の人は縁起担ぎが大好き。時代劇でおかみさんが「あんた、気をつけて行っといで」と言いながら、旦那の背中に向けて火打石(ひうちいし)をカチカチッと打ち鳴らすシーンを見た覚えはありませんか? 火打石で起こされた火花は「切り火」と呼ばれ、「穢れのない生まれたての火」であると見なされたことから、縁起担ぎ、厄除けや邪気祓いに使われていました。

「新柳二十四時 午後九時」明治13年の錦絵に描かれた切り火
出典:
国立国会図書館デジタルコレクション

芸者さんが切り火をしてもらっているところ。午後9時の外出なので用心しなさいよ、という願いを込めているのでしょうか。

そんな縁起担ぎのひとつとして今回取り上げるのが、江戸時代のとある茶屋娘の存在です。

現代と同じように江戸時代にもアイドルがいました。ただしステージや舞台には上がらない普通の女の子。水茶屋の看板娘「難波屋(なにわや)おきた」です。

水茶屋とは今でいうカフェのこと。鈴の鳴るような可憐な声で、「ちょいとそこのあなた、お茶を1杯飲んで行きませんか」と言ったかどうかはさておき、少々下膨れの美人顔と愛嬌の良さで、おきたは近所の人気者だったようです。

噂が広まったのか、おきたは絵師・喜多川歌麿によって描かれることになります。あの歌麿に選ばれたということで、 恐らく同じ年頃の女の子たちからは、嫉妬のような憧れのような気持ちを抱かれたに違いありません。そんなところにも、生来の運が強さがあったのかもしれませんね。

喜多川歌麿「当時三美人」
出典:
wikpedia

おきたのデビューは15歳の頃。歌麿の大ヒット作「当時三美人」に描かれ、右側の団扇を持っているのが本人。寛政時代の三美人といわれた作品で実在の美人が三人登場。このなかでも、おきたの人気はずば抜けて高く、この作品以降も様々なポーズで描かれました。

おきたは浅草寺脇の水茶屋難波屋に生まれ、店で働く親の姿を見て育ちました。彼女にとって働くことは当たり前。年頃になるとすすんで看板娘になって店に立ちました。 これは当時の看板娘としては珍しいこと。看板娘は接客をしないのが普通だったのですが彼女は違いました。なぜそんなことがわかるのか? それは茶托を差し出す姿を描いた作品が多数あるからなのです。

喜多川歌麿「難波屋おきた」
出典:復刻版浮世絵木版画 岩下書店


お茶をお代わりをしない客にも分け隔てなく、ニコニコと対応していたというおきた。美人なだけなら見ておしまい。お客と円滑なコミュニケーションをとることで、皆を「また難波屋へ行こう」という気持ちにさせたのでしょう。

喜多川歌麿「難波屋おきた」
出典:復刻版浮世絵木版画 岩下書店


「難波屋おきた」の一部を拡大。小さく「再出」と書かれています。しばらく店に出なかったおきたが、再び店に立つようになったという意味。あまりに騒々しくて人前に出るのに疲れてしまった時があったのかもしれません。充電してまた看板娘として活躍です。

元々人気者だった彼女ですが、あの歌麿に描かれたということで、その後はさらに大変な騒ぎに。おきたをひと目見ようと、お客なのか野次馬なのか分からないほどの人だかりができ、店は連日の大賑わい。あまりにごった返して商売に支障が出たということで、店主が野次馬たちに柄杓で水を撒いたなんていう、今だったら炎上しそうなエピソードもあります。このエピソードには諸説があり、おきた自身が水を撒いたなんていう勇ましい説もあったとかなかったとか。

そんなことがあったとはいえ、おきたの人気がうなぎのぼりのおかげで、難波屋は儲かり大繁盛。 大判小判の金貨を入れる千両箱と彼女を重ね合わせてか、”金箱娘”などという縁起の良い呼ばれ方をされるようにもなっていきました。

現代でも、福々しい幸せオーラの出ている人に会うと、不思議と癒され元気がもらえることってありませんか? ”金箱娘”のおきたとおしゃべりをしたり、その顔を見て幸運を分けてもらおうとするために、頑張って茶屋を訪れた人も多かった様子。中には、 何十杯もお茶をお代わりして長居する客もいたそうです。その頃のお茶1杯の値段は6文(現代だと約120円)、蕎麦が16文(現代だと約320円)ほどでした。当時においては決して安くはない値段なので、縁起担ぎへの熱心さも分かりますね。

おきたは歌麿に気に入られてアイドルへの道を駆け抜けたのち、ちゃんと運命の人に出会って結婚をしたそうです。しばらく家庭優先でしたが、また実家の店「難波屋」に立って幸せな晩年を送ったとか。江戸のアイドル金箱娘の人生は、まわりにも自分にも幸せと夢を振りまいたものだったのでしょう。


岩下美雪(いわした・みゆき)
Miyuki Iwashita

横浜生まれ。射手座、O型。グラフィックデザイナー、アートディレクターを経てライターへ転身。初の著書『月の満ち欠けレシピ』は、 月の満ち欠けと女性の心と体の関係性に魅せられて書きました。現在は縁あって復刻版浮世絵木版画岩下書店スタッフとして活動。復刻版浮世絵木版画の良さは何といっても色が鮮やかなこと。これから復刻版浮世絵木版画を通じて、江戸時代の縁起物や縁起担ぎなど読んで楽しい世界を広げていきたいと思っています。
https://www.kanazawabunko.net
https://www.instagram.com/ukiyoejapan485

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